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残酷王か、審判王か? 激しい戦いに明け暮れた14世紀のカスティリア王、ペドロ1世。 その生涯は35年と短かいものです。 義兄のエンリケ・トラスタマル伯(後のエンリケ2世)に殺害されるまで、 父王アルフォンソ11世の死で16歳の若さで王位につき、 宮廷貴族や庶子との争い、廃位、復位、隣国アラゴンとの戦いなど 殺戮、陰謀、波乱に満ちたものでした。 彼は古い因習等にとらわれず、宮廷から無用の貴族達を追い出し、 有能な平民や没落貴族を雇い、ユダヤ人を財務官に登用しました。 また、法律の整備をし、公正な審判を下したことでも知られています 彼の死後、代わって王になったエンリケ2世の子孫はやがてアラゴン との合邦を果してスペインの栄華を築きます。 彼の2人の娘は英国王室に嫁ぐのですが、現在の英国女王の王冠の正面にある 巨大なルビーは彼がイスラム教徒との戦いで勝ち取ったものと伝えられます。 (ペドロ1世の資料については青池保子氏の「アルカサル」が大変面白いです。) |